2008.02.28 Thursday
ヨガの練習
今日の午前中のレッスンに来てくれたそら☆さんから手作りのバナナケーキをいただきました♪
くるみパン&バナナケーキ&たんぽぽコーヒー
レッスン後にちょっとした軽食会。
美味しいものがあるとさらに楽しく会話が弾みます
最近思うのが、自宅でヨガの練習を一人でするのって面倒くさかったり、きつかったり、忙しかったり、気分が乗らなかったり、明日にすればいいや・・・とか色々な理由があってしない方が多いのでは?
自宅で一人ヨガっていうのは重い腰を上げてするようなあまり意欲的ではないイメージがあったりする。
実は私もインストラクターでありながら意欲的である日もあれば、そうでない日もあったりという感じで練習を続けている人間の一人だったりもする。
でも、インストラクターである以上、自分の練習がまず基本。「自分の練習もしてないで、生徒に何を伝えることが出来るの?!」と言い聞かせながら練習してたりする。
この「言い聞かせながら練習している」というところが意欲的ではないのである。
でも昨日ふと、「それって幸せなこと!」と思ったのである。
意欲的に自分の練習をしない自分に誰がヨガを続けさせてくれているかというと生徒達なのである。
私には幸運にも素敵な生徒達ばかりに恵まれている。大好きな生徒達にはヨガで気持ちよくなって喜んでもらいたいと思うのが当然なことであって、いいものを伝えシェアし続けていたいから自分の練習を続けるのである。
『意欲的ではない自分に練習を続けさせてくれているのは紛れもなく生徒達だったのである。』このことは私にとっては凄い発見だった。
意欲的ではない時の自分でもヨガをするとやはり気持ちよくなり、活力がつき、仕事もはかどる。そして身体の中が流れだし、滞りがなくなり、病気をしない身体になっている。
意欲的であろうと意欲的でなかろうとヨガをすること自体が心身共に健康になるのは紛れもない事実でいい事ばかりなのである。
こう思った時から自分の練習に対する意識が変わった。
「ヨガの練習をしなければならない。」という意識から「ヨガの練習をさせてもらっている。」という感謝の意識に変わった。
あるスタジオの朝ヨガに行って練習するのも同じことが言えるかもしれない。
朝ヨガに行って、みんなが各々練習している姿、みんなの呼吸音を聞きながら・・・そういった空間に自分を置かないと練習出来ない。というように周りの練習生やその空間・空気で自分の練習に意欲を起こさせる。
私の場合はたった一人で練習しているので、周りから意欲を起こさせてもらうものがない。でも、生徒達とシェアしていくのだ。という気持ちが意欲を起こさせてくれるのだ。
ある意味、私の生徒達が私の先生なのだと気がついたから驚きだった。
んっ? 生徒達が私の先生・・・??
自分に再確認してみる。うん!間違いなく、生徒達が私の偉大なる先生なのだと。
生徒という先生を持つことで私はヨガの練習を続けられ、健康でいられる。
私がこうやって健康であるからこそ、仕事をして子供を育てていける。
ヨガをして健康でいられる自分。そのヨガを続けさせてくれているもの。それは朝ヨガの同じ練習生であったり、その空間だったり・・・私の場合は生徒達なのだと気がついたのだけれど、続けさせてくれているものに感謝。
やっぱ人間って一人で生きていけてるわけではないんですね〜。
くるみパン&バナナケーキ&たんぽぽコーヒー
レッスン後にちょっとした軽食会。
美味しいものがあるとさらに楽しく会話が弾みます
最近思うのが、自宅でヨガの練習を一人でするのって面倒くさかったり、きつかったり、忙しかったり、気分が乗らなかったり、明日にすればいいや・・・とか色々な理由があってしない方が多いのでは?
自宅で一人ヨガっていうのは重い腰を上げてするようなあまり意欲的ではないイメージがあったりする。
実は私もインストラクターでありながら意欲的である日もあれば、そうでない日もあったりという感じで練習を続けている人間の一人だったりもする。
でも、インストラクターである以上、自分の練習がまず基本。「自分の練習もしてないで、生徒に何を伝えることが出来るの?!」と言い聞かせながら練習してたりする。
この「言い聞かせながら練習している」というところが意欲的ではないのである。
でも昨日ふと、「それって幸せなこと!」と思ったのである。
意欲的に自分の練習をしない自分に誰がヨガを続けさせてくれているかというと生徒達なのである。
私には幸運にも素敵な生徒達ばかりに恵まれている。大好きな生徒達にはヨガで気持ちよくなって喜んでもらいたいと思うのが当然なことであって、いいものを伝えシェアし続けていたいから自分の練習を続けるのである。
『意欲的ではない自分に練習を続けさせてくれているのは紛れもなく生徒達だったのである。』このことは私にとっては凄い発見だった。
意欲的ではない時の自分でもヨガをするとやはり気持ちよくなり、活力がつき、仕事もはかどる。そして身体の中が流れだし、滞りがなくなり、病気をしない身体になっている。
意欲的であろうと意欲的でなかろうとヨガをすること自体が心身共に健康になるのは紛れもない事実でいい事ばかりなのである。
こう思った時から自分の練習に対する意識が変わった。
「ヨガの練習をしなければならない。」という意識から「ヨガの練習をさせてもらっている。」という感謝の意識に変わった。
あるスタジオの朝ヨガに行って練習するのも同じことが言えるかもしれない。
朝ヨガに行って、みんなが各々練習している姿、みんなの呼吸音を聞きながら・・・そういった空間に自分を置かないと練習出来ない。というように周りの練習生やその空間・空気で自分の練習に意欲を起こさせる。
私の場合はたった一人で練習しているので、周りから意欲を起こさせてもらうものがない。でも、生徒達とシェアしていくのだ。という気持ちが意欲を起こさせてくれるのだ。
ある意味、私の生徒達が私の先生なのだと気がついたから驚きだった。
んっ? 生徒達が私の先生・・・??
自分に再確認してみる。うん!間違いなく、生徒達が私の偉大なる先生なのだと。
生徒という先生を持つことで私はヨガの練習を続けられ、健康でいられる。
私がこうやって健康であるからこそ、仕事をして子供を育てていける。
ヨガをして健康でいられる自分。そのヨガを続けさせてくれているもの。それは朝ヨガの同じ練習生であったり、その空間だったり・・・私の場合は生徒達なのだと気がついたのだけれど、続けさせてくれているものに感謝。
やっぱ人間って一人で生きていけてるわけではないんですね〜。